なんかねー、
どっちもおおくくりで言うと
- 問われていることは同じ
と思ってみてしまったんだよなー。
で、
どっちも原作を読んだことがあって、
それはそれで、とても深いものがあるわけだけど、
- 「原作」を読んで「映画」を観る
場合って、
- 自分の想像通りに忠実に再現されているか
ということと
それとはまったく逆に
- 自分の想像をはるかに超えたうならせる展開か
どうかということもタイセツだったりするわけです。
====この先はちとネタバレあります。====
で、
結論からいうと
「悪人」に出てくる「灯台」はまったくイメージが違うものだったなー。
一方で、
「告白」は
原作に対して私が描くイメージに忠実だったなあ。
ただねー、
- 「誰も救われない感」
が、どうしても受け入れられなくって、本当に考えさせられるんだよなー。
中学生の頃なんて今考えても
確かに一番不安定だったかも。
公立に通っていると、将来総理大臣になる子も、犯罪を犯してしまう子も、すばらしい歌手になる子も、一緒のクラスで席を隣に並べる可能性があるわけで、それでいて自我というかそういった意識が芽生えてくるのって小学生時代の比じゃなくって、すごい時代だと思うんだよね。だからいまは自宅でのんびり「告白」を見て「ブログ」に感想を書くわけだけど、一歩間違えばみんなそういったリスクがあったんだよなーとか思ったり。
というわけで、映画に戻ると、
映画の予告がすごくよくできすぎてて、
あの「期待もたせ」感はもったいないなーと思ったり。
なので、
「告白」に関しては「原作」→「映画予告」→「映画」の順番でした。
一方で、
「悪人」は
祐一と光代のからみが衝撃的で、
ま、
深津絵里と妻夫木聡のコンビで演じているということで、
その衝撃的なシーンはまったくアクのないシーンになっていたけど、
それでも光代が紳士服店ですそ上げのためにひざまづくシーンなんかは
小説と見事なまでにシンクロして「映像のチカラ」ってすごいなと思ったり。
でもこれを観て
だれも妻夫木聡クン演じる祐一が悪いなんて思わなくって、
個人的には、
房枝を騙す悪徳商法
煽るメディア
増尾圭吾
の順番かなぁ。
だけど、殺人は悪いことだし、出会い系サイトを利用してしまう真島ひかりもそもそもはいけないし、光代だって一緒に逃げるってどうよ?
とか。
あらためて、
本当の「悪人」って誰?
って思いました。
で、
冒頭に戻って
なんかねー、
どっちもおおくくりで言うと
- 問われていることは同じ
って感じるわけです。
ヒトとしてどうよって。
それにしても岡田将生クンは「告白」と「悪人」の両方に出てるんだねぇ。
対照的なキャラを演じててそれはそれで楽しめました。
コメントを残す